ナポレオン伝説の虚実 ~率いる身として ③~ |
母レティツイアから「率いる身」としての在り方を学んだのは良いが、その母は凛々しく彼も早くから自立を心がけたため、母に甘えるという事が無く、幼児性が満たされぬまま彼の中に残ってしまったことである。人を活かしもし、殺しもする幼児性が…。 ナポレオンは、孤立を逆用し、無類の集中をすることで自信をつけ、自信が得られたことでさらに集中するというコースで、彼の人格は形成されてきた。同じ部屋にいる人が咳をするのもためらわれるほどの集中ぶりであったが、その集中の為に失う者もあった。新しい仲間ができず、古い仲間が去っていく。自信と権力を持つにつれ、彼はかつての戦友たちを家来扱いするせいもあった。信頼できるスタッフや人脈を持つことがいよいよ必要になる、というのに。 また、集中を続けるためには、ときどき息抜きというか、骨休めをしなくてはならない。馬鹿になってと言うか、幼児のような気分に戻ってくつろぐことが必要で、特に幼児性を残す彼には、それは大事なことであった。 そうした二つの必要を満たす役を果たしたのが、最初の妻ジョセフィーヌであった。
一時は革命政権の実力者バラスの愛人であり、その縁でナポレオンも活躍の機会を得たりするが、そのイタリア遠征中、ジョセフィーヌは若い士官との不倫で、ナポレオンを苦しめた。 それでもナポレオンは妻の関心を得ようと、子供の様に奮起し、奮戦したという一面もあった。 そのジョセフィーヌが、ある時期から一転してナポレオンに尽くすようになる。特に意図したわけではないが、一軍人に過ぎなかったのナポレオンに様々な政治家を引き合わせる。貴族や旧王党派の人々とのつながりも残していて、各種のサロンやパーティーを催し、彼の周りを賑やかにし、普通なら付き合わない人々を彼に紹介する。 ナポレオンという男は、飲食などより話が好き、議論好きである。この点は男勝りの母レティツイアが、飲食に関心がなかったことも影響している。おのため、せっかく客を夕食に招き、暖かい食事が運ばれてきたというのに、彼は延々と議論を続ける。たまりかねたジョセフィーヌが軽く肩を叩き、ナポレオンが初めてそれに気づくということもあり、皇帝なのに母親に注意される子供のようだと話題になった。 ジョセフィーヌはナポレオンにとっては母親の役も務めた。甘く、優しい母親の役を。毎夜、ナポレオンのために、子守唄代わりに本を読んでやる。肖像画を描かせている彼が退屈しないよう、また身体が揺れぬよう、背後にいて支えてやる。また、パリに近いマルメゾンに、くつろぎのための別荘を用意し、そこにライオンなど様々な動物を飼って、彼を楽しませた。 こうすることで、彼の幼児性のあたたかな受け皿になるジョセフィーヌであった。
ジョセフィーヌと離婚し、オーストリアのハプスブルグ家から若い姫君を迎える。男の子を生ませ、自らの箔付けと、同盟関係の強化を狙ったのだが、この年若い後妻は、彼の支えや受け皿にはならず、彼に気を遣わせる重荷にしかならなかった。 集中こそが彼の力の秘密だったのに、国事、軍事に加えて、家庭まで神経を使わねばならず、力の分散というか、諸事散漫にならざるを得ない。そのため、彼は苛立ち、怒りっぽくなる。 彼の人間を形成してきたものは、次々に失われていった。かつては何事かを教えてくれる人と喜んで話し、自分の意見に逆らった者も夕食に誘ったナポレオン。少しでも多い報告を喜び、「何でも言ったほうが得」と部下に感じさせたナポレオンが、もはや部下の意見にも、いや誰の意見にも、耳を傾けなくなった。 それどころか、反論や批判を許さず、言論を弾圧、「全ての人間を監視せよ」と警察国家を作り上げる。 こうして彼は築き上げた自らの人間を失うことで、その帝国を失っていくことになった。 |