第一次世界大戦とは 

 ヨーロッパで言う大戦とは第一次世界大戦のことである
ドイツと国境を接するフランス東部のアルザス地方は、第一次世界大戦時、第二次世界大戦時にいずれもドイツとフランスとの間で激戦が繰り広げられた土地でもある。この地方の街のカイゼルスベルグのサント・クロワ教会、この教会の壁面に戦没者の名前を刻む銘板が埋め込まれている。そこの戦没者は第一次世界大戦時の方が、第二次世界大戦時の戦没者と比べても5割近く多いらしい。この数字こそが、ヨーロッパにとって第一次世界大戦というものが何だったのかを象徴している。
アルザス地方は、ドイツとフランス国境付近にあるせいか、幾たびも戦乱の巷と化した歴史を持つ。普仏戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、フランスとドイツはこの地を巡って激戦を繰り返した。
ヨーロッパにおいては、第二次世界大戦時以上に第一次世界大戦における被害のほうが遥かに大きかった。第二次世界大戦時には、ヒトラー率いるナチスが、皮肉にも短期間でヨーロッパの主要部を占領したため、戦争自体が比較的早期に終わってしまい、連合軍が1944年にパリ解放をするまでの数年間はさほど戦火に晒されなかった為である。それに比べると第一次大戦は、普仏国境線で一進一退の攻防が続いていたため、多大なる犠牲者を出してしまったという経緯がある。普仏線に限らず、各地の戦況の似たようなものであり、多大な犠牲を生み出している。
 日本とヨーロッパの認識の違い
さて日本は、欧州とは異なって、第一次世界大戦時には主要な戦地からは離れており、したがってこの世界戦争の当事者国意識に乏しい。連合国側として参戦してはいるが、そのほとんどが欧州から遠く離れたアジア・太平洋諸国をめぐるドイツとの攻防であり、そのほとんどに対した被害もなく勝利している。したがって現在においても、日本にとって第一次世界大戦は飽く迄も欧州の大戦にすぎない。
日清・日露戦争と第二次世界大戦という大戦争の狭間にある第一次世界大戦に、日本人は具体的なイメージを伴っていない。その理由は上記の当事者意識に乏しいことと同時に、大正時代の時代像があいまいな事も関連してくる。
この大正時代こそが、のちの昭和の戦争とファシズムの時代を生み出したといっても過言ではない。この第一次世界大戦の影響を検証することこそが、のちの時代の検証することに大きくつながってくる。




TOPページへ BACKします