育まれた背景 ~名声を得るために~ |
チャーチルは生まれつき「S」の発音が不明瞭で、その心配もあって、その後どの演説にも充分な用意をして臨むことにするが、この演説には特に念を入れた。「イギリスは、乾上がった急進主義の排水管よりも保守党民主主義の高潮から遥かに多くを得るでありましょう」などという名文句を次々に思いつき、完全に暗記した。「寝ていても逆に言えるほどであった。」 桜草同盟バース支部の園遊会で行われたこの演説は大成功であった。「ここと思うところでわざと間を置くとどっと喝采し、こちらが予想もしなかったところで手を叩いた。終わりには音高く拍手し、しばらくは鳴りやまなかった。結局、私にもやることができたのだ。しかも楽々と。」しかし、これから後の彼の無数の演説におけると同様、彼は聴衆の感状がいかに高まっても、あらかじめ準備し記憶した原稿から外れることはなかった。彼には即興の演説はできなかった。聴衆が彼に反応したのであって、彼が聴衆に反応したのではなかった。
野戦軍の目的は、パターン族の村落を破壊しては根拠地に引き上げるといういわゆる懲罰作戦にあった。しばしば、山に立て籠もる敵と遭遇し、特に撤収する時には大きな損害を受けた。将校の死傷率は高かったから、チャーチルは間もなく戦闘員になることができた。一度などは、インド人騎兵数名とともに負傷兵を担いで後退している時に襲撃を受け、間近の敵と銃弾を交わして、散々な目で逃げ帰った。
「私は、他のものがすべて伏せている時に、戦線にそって灰色の馬を乗り回しました。おそらくは馬鹿なことでしょうが、大金をかけて勝負しているのです。観客がいるならば、どんな行為も大胆すぎるとか高貴すぎるとかにはなりません。」 しかしインド軍司令部は、チャーチルが勝手にバンガロアの連隊を離れて、「勲章漁り」をやっているのを認めなかった。予備兵力が投入されると、彼は帰隊を命じられた。それでもブラッド将軍が戦功報告書に、特にチャーチルの名をあげてくれたことに満足した。 |