育まれた背景
~名声を得るために~
 

 演説の苦心
同じ休暇の間に、ロンドンの保守党本部を訪ねて、立候補できる選挙区があるかどうかを調べた。保守党の立候補者が当選確実の選挙区では、党組織が立候補者から年千ポンド以上の寄附を要求してくると聞かされて絶望したが、ためしに大衆集会で演説することを引き受けた。
チャーチルは生まれつき「S」の発音が不明瞭で、その心配もあって、その後どの演説にも充分な用意をして臨むことにするが、この演説には特に念を入れた。「イギリスは、乾上がった急進主義の排水管よりも保守党民主主義の高潮から遥かに多くを得るでありましょう」などという名文句を次々に思いつき、完全に暗記した。「寝ていても逆に言えるほどであった。」
桜草同盟バース支部の園遊会で行われたこの演説は大成功であった。「ここと思うところでわざと間を置くとどっと喝采し、こちらが予想もしなかったところで手を叩いた。終わりには音高く拍手し、しばらくは鳴りやまなかった。結局、私にもやることができたのだ。しかも楽々と。」しかし、これから後の彼の無数の演説におけると同様、彼は聴衆の感状がいかに高まっても、あらかじめ準備し記憶した原稿から外れることはなかった。彼には即興の演説はできなかった。聴衆が彼に反応したのであって、彼が聴衆に反応したのではなかった。
 懲罰作戦
この賜暇が終わる前に、インド北西国境―ロシア、インド、中国の3つの帝国が出会っている山岳地帯に遊牧民の反乱が発生したという報道が伝えられた。チャーチルは、鎮圧作戦のため編成されつつあったマラカンド野戦軍の司令官ブラッド大将に入隊を依頼する電報を打ち、直ちにインドへの帰路を急いだ。将軍はとりあえず彼を新聞の特派員として受け入れ、将校に死傷者が出ればその穴埋めに入隊させると返事してきた。他方で彼は、カルカッタ・バイオニア紙の特派員に任命され、ロンドンのデイリー・テレグラフ紙にも一通信5ポンドで報道を送る手筈を整えた。
野戦軍の目的は、パターン族の村落を破壊しては根拠地に引き上げるといういわゆる懲罰作戦にあった。しばしば、山に立て籠もる敵と遭遇し、特に撤収する時には大きな損害を受けた。将校の死傷率は高かったから、チャーチルは間もなく戦闘員になることができた。一度などは、インド人騎兵数名とともに負傷兵を担いで後退している時に襲撃を受け、間近の敵と銃弾を交わして、散々な目で逃げ帰った。
 勇敢な将校という名声を得ようとする
チャーチルは、意図的に危険に身を晒して、勇敢な将校という名声を得ようとしたようである。母に宛てた手紙には次のように書いた。
「私は、他のものがすべて伏せている時に、戦線にそって灰色の馬を乗り回しました。おそらくは馬鹿なことでしょうが、大金をかけて勝負しているのです。観客がいるならば、どんな行為も大胆すぎるとか高貴すぎるとかにはなりません。」
しかしインド軍司令部は、チャーチルが勝手にバンガロアの連隊を離れて、「勲章漁り」をやっているのを認めなかった。予備兵力が投入されると、彼は帰隊を命じられた。それでもブラッド将軍が戦功報告書に、特にチャーチルの名をあげてくれたことに満足した。




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