育まれた背景 ~勲章と原稿料~ |
しかし、キューバに滞在している間に、「たんなる冒険を求めて―そのために生命を危険にさらしたのは無分別だったと思うことも何度かあった」と書き記している。彼はその後も、戦闘の場に好んで顔を出したが、いつも他方で戦闘の無意味さ、悲惨さを書き留めている。また彼は、口には出さなかったものの初めはキューバ人叛徒に共感を感じていた。しかしスペイン軍将校と話しているうちに、彼らがキューバ人にたいして、ちょうどイギリス人がアイルランド人に対して持っているのと同じような所有意識、愛着を感じていることを知った。後年のチャーチルはイギリス帝国を熱烈に擁護するようになるが、それは帝国主義の経済的利益よりも、むしろ他国を支配することが支配者と支配民族の責任感を高め、彼らを「高貴」にし、被支配者に対する自愛と理解を生み出すと信じたからであった。
それからというもの、彼は勲章と原稿料―「剣とペン」を求めて盛んに策動している。クレタ島でトルコの支配に対する叛乱がおこると、特派員として出かける口を探し、ジェームスン事件をきっかけに南アフリカとイギリスの関係が悪化すると、南アフリカへ転任されるよう母に口添えを頼んでいる。 原稿料を求めたのは、もちろん一つには文名を挙げて政界へ打って出る一助にするためであったが、もう一つには金に困っていたからであった。当時、騎兵将校として暮らすには年収6百ポンドが必要であると言われていたが、彼の給与は120ポンドに過ぎなかった。その上、騎兵将校はいわば職業上の趣味としてポロをやらなければならなかったため、入隊時にはポロ用の馬や装備のために650ポンドが必要であった。他に予想していなかったこととして、将校用の食堂とクラブの会費を払い込まねばならなかった。仕立屋のツケも残っていた。他方、一家の経済は甚だ逼迫していた。
一方、母の奔走にも関わらず、転任と特派員の話は一向に実現しなかった。他に連隊を離れられない事情もあった。同僚の将校の父がチャーチルを同性愛行為を行ったと非難したために、それに対する名誉棄損の訴訟を行わなければならなかったからである。この非難は自由党急進派の下院議員ラブーシェの新聞トルースの支持を受け、支配階級の閉鎖性と堕落を攻撃するのに利用された。チャーチルは示談で事を解決して、損害賠償として4百ポンドを得たが、事件の調査が続いている間は逃げを打ったと思われないよう連隊に留まっていなければならなかった。 そして翌96年、連隊がインドに派遣されると、チャーチル少尉も連隊とともに赴任することになった。 |