白虎隊とは
 ~白虎隊の編成~
 


 白虎隊とは
慶応4年(1868)3月、会津藩の軍制改革で生まれた、16,7歳の青年戦士隊の総称であり、世に有名な白虎隊は、その中の「白虎士中二番隊」37人中の19人である。
身分については中士以上は羽織の紐色で区別され、花色以上を士分といい、その子弟は藩校・日新館に入学を許された。中士、下士身分家庭の子弟は、南北学館で学問を、武芸は宅稽古場と呼ばれる各流師範の教場で学んでいた。 
 隊名  身分 人数  紐・襟色
白虎士中一番隊
白虎士中二番隊
上士 37人
上士 37人
納戸色・黒色
紺色・花色
白虎寄合一番隊
白虎寄合二番隊
中士 98人
中士 62人
茶色、萌黄色
浅黄色
白虎足軽隊  下士 71人 (襟色)四種 
 会津藩軍制上の位置づけ
戊辰戦争初戦、鳥羽伏見の大敗は、①軍制、②武器、③戦術の三面で改革の必要に迫られ、3月以来フランス軍事顧問団のシャノワンヌ、旧幕府の畠山五郎七郎、沼間慎次朗らの指導を得て、編成面では年齢別に玄武・青龍・朱雀・白虎の四隊編成とし、朱雀隊を実戦主力部隊に、青龍隊を国境守備隊に、そして玄武隊と白虎隊を予備隊に配した。狙いは各隊機能の向上と、それによるトータル戦力の増強にあった。
これらは正規軍の歩兵部門に属し、そのほかに砲兵隊、築城兵などの兵種、上下の秩序は上から、総督、陣将、軍事奉行、同添役、幌役・・・・などを置き、洋制を模した。
各隊は約100人よりなり、中隊を小二隊に、小隊を二分隊に分けた。
隊名は、天の四方を司る「四神」になぞらえ、玄武(北)、青龍(東)、朱雀(南)、そして白虎(西)とした。以上約3000人を正規兵としたが、他に非正規兵が存在した。
① 農民兵  約3000    ② 正奇兵  半士半農の準正規兵  
③ 敢死隊  義勇兵で農町民から選抜。士中身分・禄授与  ④ 猟師隊・力士隊・修験隊
⑤ 奇勝隊(僧侶)
があり、さらに藩外からも
⑥ 桑名藩  数百人   ⑦ 市川三左衛門ら率いる水戸諸生党隊約600人
⑧ 古屋佐久左衛門率いる旧幕軍・衝峰隊約700人  ⑧ 大鳥圭介率いる旧幕軍約1300人
⑨ 旧幕兵からなる純義隊 ⑩ 新撰組100余人  ⑪ 朝比奈茂吉以下岐阜郡上藩凌霜隊47人
などの来援があったが、時間の経過の中でその数は漸減し、5000~1万くらいの間で増減した。




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