ビザンツ帝国の統治の枠組み
 ~地理的枠組み~
 


 ビザンツ帝国の領土範囲
ビザンツ帝国の領域は、6世紀初頭においては東方に限定されていた。ヨーロッパ地域にあってはバルカン地域の一部を含むにとどまった。おおまかにいうと、今日のギリシャ、ブルガリア、マケドニア、アルバニア、セルビアを含む地域である。北の国境はドナウ川で、その北側には多くの蛮族が居住しており、程度の差こそあれ、それぞれに安定した状態にあった。東ゴート王国と境を接していた西の境域は、現在のセルビアとボスニアの国境付近であった。帝国版図の最大部分は、アジアとアフリカ地域にあった。アジア地域では、ペルシアと国境を接していた。この国境は、黒海の東端から真っ直ぐ南に下ってユーフラテス川に達している。この版図内には、今日のトルコの大半、シリア、レバノンが含まれた。そしてヨルダン砂漠を横切り、アカバ湾に達し、シナイ半島を一周した。エジプトとリビアの南部もまた、この帝国版図の一部を構成していた。
帝国の首都は「新ローマ、すなわちコンスタンティノーブルであった。この帝都は、330年にコンスタンティヌス帝により建設され、開都されていた。皇帝の座所であり、中央政府と二つの軍団が存在していた。これらの事実がこの町に歴然と政治的重要性を与えていた。成功を求めて、人々が帝国内のあらゆるところからこの帝都にやって来た。そこは、この上なく多様な諸文化が豊かに交流している空間だった。6世紀当時、コンスタンティノーブルは人口40万人。人によっては60万人という意見もある。
 コンスタンティノーブル
コンスタンティノーブルは、アルマラ海と金角湾に挟まれた部分に延びた半島に位置した。この町は戦略的、商業的に第一級の地位を有した。330年以来、この町は大きく拡張され、テオドシウス2世(在位408~450年)の城壁は、コンスタンティヌス帝の城壁よりおよそ800ⅿほど離れた場所にあった。コンスタンティノーブルからおよそ65㎞離れた場所には、アルマラ海から黒海に至る長城があった。この長城は、469年以前より建設が始められ、497年アナスタシウス帝(在位491~518年)治世に補強されている。
コンスタンティノーブル市内の中心はアウグステオン広場である。そこには、都市ローマの黄金製里程標ミーリオンの模造品が置かれた。それは、あらゆる街道の起点であり、コンスタンティノーブルがローマ同様「世界」の中心である事を示すものだった。アウグステオン広場の周辺には、ハギア・ソフィア聖堂、元老院議場、ゼウシッペ浴場があった。ハギア・ソフィア聖堂は、コンスタンティヌス帝下で建設が開始され、コンスタンス帝時代(337~340年)に完成、テオドシウス2世によって再建された。ゼウシッペ浴場は、ギリシア世界各所から持って来られた彫像で飾られていた。アウグステオン広場は、ハルケと呼ばれる玄関ホールに通じる広場に繋がっていた。そこは「白刃」の衛兵が警固し、ブロンズ製の屋根に覆われたホールであり、そこから大宮殿に入り、またヒッポドローム(馬車競技場)の入り口に至るものだった。大宮殿は、ヒッポドロームと海の間に広がる台地に作られていた。それは、一大複合建造物であり、種々の広間、礼拝堂、中庭、庭園があった。歴代皇帝は一体性をあまり配慮せず、それぞれに建築物を付け加えていったのである。
この場所から西に一本の大通り(メセ―)が伸びていた。この大通りの沿道には、列柱の並ぶ柱廊がしつらえられ、いくつかの広場で区切られていた。メセ―は二つの道に分かれていたが、そのうちの一つの道は、歴代皇帝が埋葬された聖使徒教会の脇を通った。その道のりには聖マリア教会があり、この教会はビザンツ人から大変崇敬されていた。
コンスタンティノーブルには、8つの浴場を含む多くの公共建造物が存在した。町中いたるところに教会、礼拝堂、殉教者教会が多く点在した。おそらく100程度は存在したと思われる。

 アンティオキアとアレクサンドリア
帝国内にはもう二つの大都市があった。オリエンス管区の首都アンティオキアと、エジプト管区の首都アレクサンドリアである。おそらく後者の方がより重要だったが、両都市とも10万人以上の人口を抱えていた。テッサロニキは5世紀半ばに本格的飛躍を遂げ、この時期に最盛期を迎えて、帝国第四の都市になっていた。人口は他の都市に比べると明らかに少なかった。また、4~6世紀に大きな発展を遂げた他の大都市には、エフェソス、アバメ、エメゼ、エルサレムがある。これらの都市は全てモニュメンタルな建造物、ポルティコ(円柱またはアーチで支えられた破風付きの玄関)の並ぶ通り、彫像で飾られた広場、浴場、劇場があった。これらの都市は頑丈な城壁で取り囲まれ、その多くにはヒッポドローム(馬車競技場)があった。また町にはキリスト教の刻印が刻まれ、教会堂、教会が管理する慈善諸施設が多数存在していた。




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