破天荒なビスマルク
~対照的な両親~
 

 ユンカーの家に生まれる
オットー・エドウアルト・レオポルト・ビスマルクは、1815年4月1日、現在のドイツのシェーンハウゼンの地で大農場を経営するフェルナントと妻ヴェルヘルミーネの第四子(実質的には二男)として生まれた。
ビスマルク家は一般的にはユンカーと呼ばれる、エルベ川以東で大農場を経営する地主貴族の家系であり、その起源を14世紀にまで遡ることができる由緒ある家柄であった。ユンカーは、この地を治めるプロイセン王国にあって、地域社会に君臨し、政治・軍事の要職を占めるなど、非常に大きな影響力を有していた。そのような政治的環境のなかにあって、ビスマルク家も代々プロイセン軍の将校を輩出していたが、要職を務めるような事は殆どなかった。
 父と母
ビスマルクの父フェルナントは単純で朴訥とした、人の好い性格をした人物で、祖先の例に倣って騎兵将校を務めた後は、農場経営に勤しむ。一介の平貴族・田舎ユンカーといったところであった。そのような父親に対してビスマルクは後年、伴侶のヨハナに「父の軟弱そうな感じに不愉快さを感じ、冷たく不機嫌にあたってしまった」ことを述懐している。
ところが母親に事になると、ビスマルクは途端に冷淡になってしまう。母は美しく外面的な華美を愛しており、明晰で生き生きとした知力の持ち主だったが、情けというものがほとんどなく、自分に対して厳しく冷たい人だったと感じていたようだ。
彼の母親ヴィルヘルミーネは、代々学者を輩出するメンケン家の出身であり、彼女の父親はプロイセン王フリードリヒ大王に仕え、その後二代の官房顧問官を務めるなど、プロイセン王室であるホーエンツオレルン家やベルリンの知識人サークルに対してそれなりに影響力を有する人物であった。ベルリンの知的・文化的な環境の中にあって「官僚の世界」で育った彼女は、ビスマルクの述懐のとおり、知的で聡明ではあったが、神経質で虚栄心が強く、家庭的な女性とは言えなかったようだ。

 破天荒なビスマルクの伏線に
つまり、ビスマルクは極めて対照的な両親の下に生まれたことになる。彼の生い立ちは、父親が体現する「伝統的・貴族的・農村的」世界と、母親が体現する「市民的・官僚的・都市的」な世界の狭間に置かれ、その苦悩から両親に対して屈折した感情を抱き、どこか素直になれず内面的な疎遠になってしまうのである。
この点ビスマルクは、後年ヨハナの父であるハインリヒ・フォン・プトカマーに宛てた書簡にて、次のように素直に述べている。「私はごく幼い時から両親の家庭と疎遠になり、そこへ完全に溶け込んだことは一度もありませんでした」このような対照的な両親がビスマルクの人格形成に多大かつ深刻な影響を与えずにはいられなかった事は間違いない。これがのちに「破天荒なビスマルク」と称される彼の奇行の伏線となってくる。




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