破天荒なビスマルク ~対照的な両親~ |
ビスマルク家は一般的にはユンカーと呼ばれる、エルベ川以東で大農場を経営する地主貴族の家系であり、その起源を14世紀にまで遡ることができる由緒ある家柄であった。ユンカーは、この地を治めるプロイセン王国にあって、地域社会に君臨し、政治・軍事の要職を占めるなど、非常に大きな影響力を有していた。そのような政治的環境のなかにあって、ビスマルク家も代々プロイセン軍の将校を輩出していたが、要職を務めるような事は殆どなかった。
ところが母親に事になると、ビスマルクは途端に冷淡になってしまう。母は美しく外面的な華美を愛しており、明晰で生き生きとした知力の持ち主だったが、情けというものがほとんどなく、自分に対して厳しく冷たい人だったと感じていたようだ。 彼の母親ヴィルヘルミーネは、代々学者を輩出するメンケン家の出身であり、彼女の父親はプロイセン王フリードリヒ大王に仕え、その後二代の官房顧問官を務めるなど、プロイセン王室であるホーエンツオレルン家やベルリンの知識人サークルに対してそれなりに影響力を有する人物であった。ベルリンの知的・文化的な環境の中にあって「官僚の世界」で育った彼女は、ビスマルクの述懐のとおり、知的で聡明ではあったが、神経質で虚栄心が強く、家庭的な女性とは言えなかったようだ。
この点ビスマルクは、後年ヨハナの父であるハインリヒ・フォン・プトカマーに宛てた書簡にて、次のように素直に述べている。「私はごく幼い時から両親の家庭と疎遠になり、そこへ完全に溶け込んだことは一度もありませんでした」このような対照的な両親がビスマルクの人格形成に多大かつ深刻な影響を与えずにはいられなかった事は間違いない。これがのちに「破天荒なビスマルク」と称される彼の奇行の伏線となってくる。 |