第二次世界大戦後の再編と見直し
 ~軍備削減と基地の縮小~
 


 世界大戦終了後
統合参謀本部の基地計画はそのまま順調に進んだわけではなかった。その理由の一つは、大戦の終了にともなう将兵の急速な復員だった。米軍の総兵力は、1945年6月末時点の1212万名から、46年6月末には303万名、47年6月末には158万名と急減した。海軍の場合、50年までに主要艦船は6700隻から630隻へ、そのうち戦艦は23隻から1隻へ、大型空母は28隻から11隻へと大きく削減された。もちろん予算も大幅に削減され、多数の海外基地を抱えることは困難になった。
第二の理由としては、受入国からの米軍撤退要求だった。例えばパナマは、運河地帯の外の米軍基地継続協定の申し入れを拒否した。デンマークはグリーンランドの使用協定終了を要求し、アメリカはグリーンランドをデンマークから購入する提案をするがデンマークは拒否した。44年6月にデンマークから完全独立を果たしていたアイスランドも撤退を要求した。デンマークとアイスランドに再び基地が設置されるようになるのはいずれも50年代になってからの事である。
 イギリスとの駆け引き
イギリスの植民地においても順調ではなかった。アセンション島について、継続使用したいという米国案を英国は拒否したため、米軍は1947年までに撤退せざるを得なかった。ただその後1956年に米英両政府間の協定により、ミサイル実験の追跡基地として利用することが認められた。この大西洋南部の地域は、フロリダからのミサイル発射実験の目標地域にされていた。1962年尉は米英合意により空軍中継基地としても利用されるようになった。なお戦後は英軍は駐留していないが、フォークランド戦争の時中継基地として利用している。
1946年にアメリカ政府はイギリスに対して、独立が差し迫っているインドとビルマにある、アメリカが戦略的に重要と考える4つの飛行場について、イギリスが管理下に確保するように依頼するとともに、アセンション、タラワ、ガダルカナル、フィジーに建設された軍事施設について米英共同の権利を認めるように要請した。また太平洋の25の島(イギリス18、ニュ―ジーランド7)の主権移譲も打診したが、いずれも英政府に拒否された。オーストラリアも戦争が終わると米軍基地の継続を拒否し、ニューギニアとアドミラルティ諸島を、47年に外国軍基地を認めない国連の信託統治領にした。ただ米海軍は中東のバーレーンの港利用を1948年から許されるようになった。
 拒否られる米軍
イギリスのベビン外相はアメリカに対して、47年1月、長期の基地権を求めない方がよい、何故なら国連の信用を落とすだけでなく、ソ連がダーダネルス海峡やヨーロッパなどで基地権を要求するのを促進してしまうし、また共産主義者が批判するなどの理由をあげ、アメリカの海外基地拡大に懸念を示した。多くの国々にとっては、米軍の駐留は戦争中の非常事態だから認めただけであり、平時に戻れば、外国軍は撤退すべきであるというのが一般的であった。
第三の理由としては、対日対独戦で必要とされた基地であっても、冷戦の観点からは必ずしも重要ではない地域があったことである。例えば南太平洋ルートは、重要性が低下した代表的な地域である。第四には、技術の発展、特に航空機の航続距離の延長により、中継基地を減らすことが出来るようになったことが挙げられる。




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