米軍基地の世界的ネットワークの形成
 ~19世紀末からの海外展開~
 


 海外進出への足掛かりとして
アメリカ合衆国は、1776年に独立宣言を発し、独立戦争を経て1783年に独立の承認を勝ち取ったが、当初の13州から西に拡張を続け、1846~48年には太平洋岸まで領土を拡大した。1848年からのカリフォルニアのゴールドラッシュは人々を一気に太平洋岸へと駆り立てた。53年にはペリーの率いる艦隊が日本に来て開港を迫り、翌年、日米和親条約が結ばれた。捕鯨船などの石炭や水・食料の補給地を必要としていたからだった。
1857年から太平洋のフェニックス諸島(現在のキリバス共和国の一部)を石炭の補給基地として奪い、さらに67年にはミッドウェイを編入し、アラスカとアリューシャン列島をロシアから購入した。72年にはサモアと海軍使用を認める協定を結ぶが上院が認めず、その後、1899年に西サモアはドイツに譲り、アメリカは東サモアを領有することになった。西サモアは現在独立しているが、東サモアは米領サモアとして残っている。
海外領土を一気に拡大したのが、1898年の米西戦争だった。その前からスペインの植民地支配に対する独立の戦いがフィリピンやキューバで広がっていたが、ここにアメリカが介入し、約8か月の戦争の結果、アメリカはフィリピン、グアム、プエルトリコを獲得し、またスペインはキューバを放棄した。この米西戦争の際にウェーク島も占領併合した。
 アメリカ帝国主義
フィリピンでは共和国の独立を宣言したが米軍はこれを鎮圧して併合し、キューバは独立したが事実上アメリカの従属下におかれ、アメリカは1903年にはキューバと無期限の基地提供協定を締結して、グアンタナモ基地を獲得した。その後、1934年に新条約を結び、アメリカのキューバへの介入権は削除されるなど一部修正がなされたが、1903年協定その他の条項は継続することが確認された。これらの条約は期限がなく、両国の合意によってのみ改廃することができるという極めて不平等なもので、従ってキューバの改廃要求に対してもアメリカが拒否すれば条約は無期限に維持されることになる。グアンタナモ基地はこうした帝国主義の論理によって今日なお維持されている。
これと並行して、1893年にアメリカの圧力でハワイ王国を崩壊させ、1898年にハワイをアメリカ領として併合。1900年には準州とした(1959年には50番目の州に)。その後、ハワイは米海軍と空軍の拠点として整備されることになる。
また、中米のパナマに対して、そこでの運河建設が軍事的にも経済的にも重要であると考えたアメリカは、パナマを領有していたコロンビアが運河地帯租借を認めようとしなかったため、パナマの独立運動を支援して1903年にコロンビアからパナマを分離独立させ、そのうえでパナマ運河地帯の永久租借権を獲得した。パナマ運河は1913年に完成、翌年から運行が開始されるが、ここにも米軍を駐留させるようになった。太平洋に進出するようになったアメリカにとって大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河は軍事的にも経済的にも重要だと認識されたからである。なお、1979年のパナマ運河条約に基づき、1999年にパナマ運河をパナマに返還し、米軍も撤退した。
 アジアへの進出
アメリカはアジア大陸においても、清国における義和団事件をきっかけに1900年、日英など他の列強とともに計8か国で軍事介入を行い、翌年結ばれた北京議定書により中国(北京―海浜間)での軍隊駐留権を獲得した。その後、北京や天津などに米軍を駐留させるようになった。
こうしてカリブ海から中米、太平洋の西側まで米軍基地のネットワークが完成した。ただ、第二次大戦前の米軍の常備兵力は20万人台に留まっていたこともあり、海外に駐留している兵力はそれほど大きなものではなかった。
このようにアメリカが北米大陸の外に進出し、植民地や事実上の従属国を獲得するようになるのが19世紀から20世紀への世紀の転換期だった。アメリカはヨーロッパの帝国主義には批判的だったが、北中米・カリブ海から太平洋地域では帝国主義的であった。




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