米軍基地の世界的ネットワークの形成 ~19世紀末からの海外展開~ |
1857年から太平洋のフェニックス諸島(現在のキリバス共和国の一部)を石炭の補給基地として奪い、さらに67年にはミッドウェイを編入し、アラスカとアリューシャン列島をロシアから購入した。72年にはサモアと海軍使用を認める協定を結ぶが上院が認めず、その後、1899年に西サモアはドイツに譲り、アメリカは東サモアを領有することになった。西サモアは現在独立しているが、東サモアは米領サモアとして残っている。 海外領土を一気に拡大したのが、1898年の米西戦争だった。その前からスペインの植民地支配に対する独立の戦いがフィリピンやキューバで広がっていたが、ここにアメリカが介入し、約8か月の戦争の結果、アメリカはフィリピン、グアム、プエルトリコを獲得し、またスペインはキューバを放棄した。この米西戦争の際にウェーク島も占領併合した。
これと並行して、1893年にアメリカの圧力でハワイ王国を崩壊させ、1898年にハワイをアメリカ領として併合。1900年には準州とした(1959年には50番目の州に)。その後、ハワイは米海軍と空軍の拠点として整備されることになる。 また、中米のパナマに対して、そこでの運河建設が軍事的にも経済的にも重要であると考えたアメリカは、パナマを領有していたコロンビアが運河地帯租借を認めようとしなかったため、パナマの独立運動を支援して1903年にコロンビアからパナマを分離独立させ、そのうえでパナマ運河地帯の永久租借権を獲得した。パナマ運河は1913年に完成、翌年から運行が開始されるが、ここにも米軍を駐留させるようになった。太平洋に進出するようになったアメリカにとって大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河は軍事的にも経済的にも重要だと認識されたからである。なお、1979年のパナマ運河条約に基づき、1999年にパナマ運河をパナマに返還し、米軍も撤退した。
こうしてカリブ海から中米、太平洋の西側まで米軍基地のネットワークが完成した。ただ、第二次大戦前の米軍の常備兵力は20万人台に留まっていたこともあり、海外に駐留している兵力はそれほど大きなものではなかった。 このようにアメリカが北米大陸の外に進出し、植民地や事実上の従属国を獲得するようになるのが19世紀から20世紀への世紀の転換期だった。アメリカはヨーロッパの帝国主義には批判的だったが、北中米・カリブ海から太平洋地域では帝国主義的であった。 |