米軍基地の世界的ネットワークの形成
 ~第二次世界大戦中の世界的な拡大~
 


 第二次世界大戦勃発
第二次世界大戦は1939年9月のドイツによるポーランド侵攻により始まり、その後ドイツは40年4月にデンマークとノルウェーに、5月にベルギー・オランダ・ルクセンブルクとフランスに侵攻した。英仏連合軍は5月末よりフランスのダンケルクから撤退し、6月14日にはパリがドイツ軍に占領され、短期間のうちにヨーロッパ大陸の主要部分がドイツの支配下に入った。
5月10日ドイツ軍はフランス等への侵攻作戦を開始したが、ちょうどその日、イギリスではチャーチルが首相に就任したところだった。フランスで英仏連合軍が劣勢に追い込まれる中、5月15日チャーチル英首相はルーズベルト米大統領に駆逐艦数十隻の供与を求めた。アメリカはまだ参戦していなかったが、8月13日に駆逐艦50隻などを供与できると回答した。その交換条件としてニューファンドランドなどの大西洋に面したイギリス植民地に米軍を駐留させる協定を締結することを提案した。9月2日に英米両国は交換書簡によって、アメリカはイギリスに駆逐艦を供与する代わりに、イギリスは米軍に基地を無料で99年間貸与できるということで合意した。
 戦線拡大に伴う米軍基地の拡張
米軍は大西洋・カリブ海地域のイギリス植民地を視察し、基地設置場所を調査したうえで、41年3月に米英間で協定を締結した。アメリカはイギリスに1200㌧級駆逐艦50隻を供与すると同時に、イギリスから、ニューファンドランド(現在はカナダ領)、大西洋のバミューダ、カリブ海地域のジャマイカ、セントルシア、アンティグア、トリニダード、英領ギアナなどに99年間基地を置く権利を獲得した。ニューファンドランド―ベルムーダ―トリニダード(カリブ海地域の最南端)が重要な軍事拠点として整備され、米本土の防衛ラインが大きく東に張り出される態勢となった。イギリスへの北大西洋航路の安全確保や、ドイツの進出に対抗する米本土やパナマ運河の安全確保などが意図された。アメリカの海外基地拡大が大英帝国の植民地を利用して行われたのである。
さらにデンマークがドイツによって占領されたため、デンマーク領であったグリーンランドにドイツ軍が進出することを危惧して、デンマーク駐米大使との間で41年4月、グリーンランド防衛協定を結んで同地に米軍を派遣した。同じくデンマーク領であったアイスランドには、40年5月にイギリス軍が入り、翌41年7月には米軍も進出した。この二つの島は米英間を結ぶ北大西洋航路・航空路を確保するうえで重要な位置にあった。
ここまでは1941年12月の真珠湾攻撃を受けてアメリカが参戦する前の事であるが、参戦後は大西洋についていえば、ポルトガルの西方の島、アゾレス諸島を43年からイギリスがポルトガルから利用権を獲得し、翌年末から米軍も利用し始めた。南大西洋のイギリス領のアセンション島は42年はじめから米軍が飛行場を建設し、アメリカ―カリブ海―ブラジル―西アフリカを結ぶ交通路の支援基地として利用した。
 連合国参戦に伴うネットワーク構築
対日戦と対独戦のために米軍基地のネットワークは文字通り世界的に広がった。大西洋方面については、①イギリスへの北大西洋航路(ニューファンドランド、ラブラドール、グリーンランド、アイスランド等)、②カリブ海・中米・ブラジルからアフリカ・中東へのルートの二つが主要なものである。
太平洋方面では、③フランス領ポリネシア、ニューカレドニアや英領フィジー、ソロモン諸島などの南太平洋からオーストラリアまでの島々の南太平洋ルート、④ハワイ、ミッドウェイ、アリューシャンなどの中北部太平洋方面、⑤戦争最終盤にはグアム、マリアナ諸島、フィリピン、小笠原、沖縄という日本本土に向かう西太平洋方面、ほかに⑥インドービルマ―中国へのルート、が挙げられる。
基地の数は数え方によって異なるが、ある米軍の数字によると、1945年時点で海外にある米海軍基地(海軍航空隊基地を含む)だけで、合計434カ所、内訳は大西洋228(北大西洋18、パナマ・カリブ海67、南大西洋25、北アフリカと地中海55、英仏独63)、太平洋195、インド洋と中東11となっている。大戦が終了した時点で、海外全体で2000を超える基地に3万以上の使節を有していたという研究もある。
こうした米軍基地ネットワークはイギリスやフランスなどヨーロッパ諸国の植民地をつなぐネットワークを活用して作られた性格が強いことに留意しておく必要がある。




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